黒
普段と変わらぬ姿で扉を開けた。
カツカツと踵を鳴らして歩く私に訝しげな視線を送る人達。人々は皆ガスマスクを被っていて、例外なのは私ひとりだった。
皆必死に逃れようとしてる。
けれど気付かないのか。
視界いっぱいに写る真黒いモヤに。その黒はいつだって変わらず渦巻いているというのに。皆には見えないのか。
本当に気付かないのか。
気体となって喉を埋め窒息させることも、液体となって肺に入り込み溺れさせることも、個体となって心臓を貫かれることもあるその黒に。
もう手遅れなんだよ、今更ガスマスクなんて着けたって。黒の形状を変えるだけに過ぎないのだから。
幸福な選択なのかも知れないとわかっているけれど、本当に見えない振りをすることが正しいのだろうか。
皆が本当は何から逃れたいのかが、私には全く見えないわ。