悟ったような面するブログ

無い脳味噌と知識で垂れ流している。

オチのない思考〜クソから抜け出せない〜

高校時代、所属していた演劇部は喜劇ばかりやっていた。二年目から私は台本を担当していた。
自作した話を皆が褒めてくれた。後輩が主役の新人大会で賞を貰った。お偉いさん方に台本も褒められた。他校の子達があのシーンで泣いたと話していたらしい。

今思えばそこが私の夢の限界だったのかも知れない。


こんな私が喜劇なんて書き切れたのは皆のお陰だった。楽しい空間があったから書けたに過ぎない。

やがて部員はいざこざを起こし制止するも虚しく分裂し崩壊していった。
筆を持ちノートと面するのが怖くなる。もう私は喜劇どころかろくに創作も出来やしない。そんな絶望と諦められない夢が喧嘩し続けた。


今じゃ科学技術のお陰で創作は出切るものの、喜劇なんて書く気にもなれないし結末まで書き切ることだって難しい。
傷もトラウマも癒えたはずなのに未だに自分の字が気色悪く見えて反吐が出る。

嗚呼あそこがピークだったんだろうな。される程の技量なんてもう無いはずなのに評価されたら突き落とされそうで怖いと怯えてる。それでも夢は儚くもがいてる。過去の栄光が夢に生気を与えてる。夢も栄光もクソ喰らえだ。

そんなクソに突き動かされて今の私は創作してる。ナイフを突き立てられ脅迫されて書いている。

確か昔は楽しかったはずなのに。どんな気持ちだったかよく思い出せない。思い出したところで何があるわけじゃないけれど。



最近よく夢に振り回されて人生まで棒に振った話を見掛ける。今日も見た。
ミュージシャンに漫画家、イラストレーターや役者。色んな夢。色んな絶望。色んな崩壊。
皆して後半にはこう含ませた。「叶わない夢はすぐに諦めた方が良い」と。

全くもってその通りだ! 激しく同感だ! 夢なんてあっても無駄だ!
そう心で叫ぶ。叫びたいだけなのかも知れない。

よく目にするのも自分が見たいと望んでいるから? 幸せになった人は夢は叶って当然と思って話さないだけ?
その辺はわからない。わかりたくない気もする。


どうしたら私はこんなクソから解放されるのかしら。
するとも永遠に解放されることなくよくある話のひとつと化してしまうのかしら。


今のところ何も考えないよう過ごしているお陰でクソから距離を置けるようになってきた。けれど同時に叶うに必要な知識も努力も経験も無くなってきた。

叶えられるものなら叶えたいけど実際本当にそうなのかはっきりしない。何か確証が出てくれれば良いのだけど。


どうしたら良いのだろう。どうしたら良いのかしら。どうしたら、どうしたら……。
そんな考えばっか巡って結局何も考えてない。考えない。


嗚呼、せめてあの時の様な仲間と空間があったらはっきりするのかしら。
笑いが耐えなくて、相談に乗ってくれて、アドバイスしてくれて、背中を押してくれて、どんなくだらない話の案も聞いてくれて、面白いと褒めてくれる。そんな仲間がいた第二会議室。

私に纒わり付く本当のクソは夢でも栄光でもなくその場所なのかも知れない。
もうそこには近寄りたくないけれど、そこにもう一度向き合わなければいけない気がする。

文化祭などの他者が入りやすい時に行ってみようかな。あ、でもお金が無いんだった。
そんな言い訳を並べて何も考えなかったことにします。さようなら。


再度夢を目指したところでもう遅い。何もかもが足りない。無駄で終わるのが目に見えている。
それなら今まで通り諦められないのか諦めさせてくれないのか曖昧なままでいきましょう。

気が向いたと言っては創作し、気が向かないと言っては放り出す。そんなもので良いんです。
私の人生、創作が許されているだけでも凄く恵まれてることなんだから。

クソの中が唯一の天国でしかないんだから。