悟ったような面するブログ

無い脳味噌と知識で垂れ流している。

子供デブは子供の怠慢じゃない

始めに言うが、別にデブを擁護したいわけじゃない。一概には言えないが本当に怠慢で痩せられないデブもいるのも事実だ。
だからと言って子供(未成年)のデブを怠慢だと言うのはちょっと待ってほしいというだけの話である。


子供の頃、少なくても学年に1人くらいは太ってる子がいたことだろう。
「食べるのが好き」「運動するのが嫌い」「痩せられない、もしくは太りやすい体質」 と様々な理由が想像出来るなか、考えてほしい。

「そもそもこの子の食事担当は誰だ?」と。

特殊な例でもない限り、その答えは親や祖父母などの身近な大人といったところだ。小さい子に毎日自身の食事を全て任せる人は早々いないだろう。(いたとしたらそれは紛うことなき育児放棄である)


まず一般的に大人はとにかく子供に食べさせまくる。
子供が望めば(異常な程じゃない限り)おかわりを許し、少ない量で手を止めるならば本気で心配をするものだ。そして食べられそうならもっと食べなさいと勧めてくる。

つまり大人は(トレーナーや栄養士でもない限り)子供に食の悦びやバランスのとれた食事を与えると共に必要外のカロリーを与え、食事制限を全力で邪魔しにくる存在なのだ。悪気がないのが更に厄介である。
運動量が半端ではない子供や元々痩せやすい体質の子供にとっては有難いだけで何も問題はない。しかし、そうではない子供にとっては家畜を太らせてる様なものであり、結果的にそういった子が主に子供デブとなっているのである。

そして一般的な家庭では運動を強制しない。毎週末にはキャッチボールしてるなんて家庭も珍しいくらいだ。
運動したい子は運動をし、そうではない子は一切体を動かさない。それは良いことなのだが、裏を返すと悪い意味での手助けとなってしまっている。

子供は子供なりに精一杯生きているうちに太らされているのだ。しかも育ての親によって。
そして痩せる為には子供にとって大きいストレスと戦うこととなる。

まず門限までの限られた時間の中、好きなことをやる時間を削って嫌いな運動を無理矢理やることになる。早朝や深夜のランニングも許されない。器具を買うことやジムに通うことも難しいだろう。
家に帰れば食の誘惑もとい強制がやってくる。痩せたいからと野菜ばかり食べたり量を減らそうものなら親から「小さいうちからダイエットなんて」と怒られる始末だ。

勿論、上手いこと痩せられる子供もいる。だが皆が皆こう上手くいくだろうか。
子供ながらに早々に自身の体型に自覚を持ち、好きなことを我慢し嫌いな運動を続け、親に理解してもらい、食べたい物も我慢する。時には痩せる為に親に金銭的援助や直接的援助を頼み込む。
皆が皆、子供のうちからここまで出来るのだろうか。
危ない、健康に悪い、お金が無い。そういった理由でダイエットさせてくれなかったから子供デブと化してしまった人もいるんじゃないのか(というか少数いた)


そうして中学生、高校生、大学生となったデブを一概に怠慢と決めつけられるのだろうか。

デブを怠慢だと言って嫌悪する気持ちもわからなくもない。最初に書いた通り、本当に怠慢なデブもいる。
けれど百歩譲って未成年者のデブに怠慢といった責任を負わせないでやってほしい。

脅されて罪を犯してしまった人に情状酌量を考える様に、例え「デブ」というものに罪があったとしても太らされた人と本当に怠慢で太った人を同じ扱いをするのはどうかと思うのだ。

せめて太らせてくる者から解放され、真の「大人」になるまで、責めるのは待ってほしい。
自由に動けるようになった後で「痩せない」のなら怠慢だの何だのと言って嫌悪したけりゃ嫌悪すれば良い。


協力する気も解決する気もないのなら特に。
「私は痩せられたんだから出来ない皆は怠慢だ」と決めつけないでやってほしいし、私もそうしないように気を付けたい。

城も歌声も無くした姫サマはお呼びじゃねえ

最近、一切歌わなくなったなあと、不意に感じた。
カラオケに行かなくなったからというのが一番大きいのだろうが、私は歌うのが好きだ。例えカラオケに行かなくても鼻歌交じりに口ずさむことは頻繁だった。
──それなのに、一切歌わなくなった。


音楽なら勿論今でも頻繁に聴いている。何なら新たに聴き始めた曲が幾つかあるくらいだ。

私にとっての音楽は唯一私を化け物から逃がしてくれた存在であり私を人間にしてくれた存在であり私を受け止め傍に居てくれた存在である。
他所からすればただ5分かそこらの時間、現実逃避させるだけものかも知れない。それでも昔からいつも耳と目、そして心までも優しく塞いでは私を守ってくれてたのは私にとって紛れもない事実だ。

聴くのは勿論、歌うことも私がほんの少しの間だけ私を救い出せる行為だ。嫌いになるわけがないし、そんな感情は毛頭ない。

それなのに滅多に歌わなくなったのには心当たりがある。


その心当たりは2つある。

「今いる場所が自分の城ではない」
「自分を嫌いになり過ぎた」

この2つだ。


前者はまあ、私のTwitterをフォローしてくれている方々ならば察してくれるだろう。

そうでない方に説明すると、私は今自分の家に住んでいない。
いや、一応自身で契約して暮らしている家はある。ただ事情により、その家の方には殆ど近寄らずに同棲もとい居候という形でワンコ君(友人)の家にお邪魔しているのだ。
ワンコ君には大変迷惑を掛けてしまっているのだが、デメリットを教えた上で許可を貰ったのでそこについては今はスルーして頂きたい。

説明の通り、私が今暮らしている家はワンコ君の家であり決して私の家ではない。
当然、周りを見渡せばワンコ君の私物と趣味だらけ、衛生環境も彼の基準だ。それ等を捻じ曲げようと(掃除はするけど)いう気は更々ない。というかそんな権利はない。

此処は彼の城なのである。私の城ではない。

正直、仲の良い友人とは言え他人の城で四六時中落ち着けるわけがない。

そりゃあ全く落ち着いていないと言うのは嘘になる。誰だって動物だって慣れはする。そして慣れてしまえば良くも悪くも落ち着くものだ。

それでも限度ってものがある。
私の家だっていつ化け物が来るかわからない、時にそれでパニックを起こすこともある。しかしそれはワンコ君の家だって同様であり、いつ誰が来るかわかったもんじゃない。

それでも好きなものに囲まれ法的にも私だけの空間と認められた安心感は大きい。何やかんや言って自分の城というのはリラックスにおいてとても重要だったのだ。

自分の城である以上、化け物の脅威がない時は落ち着くことができ、「独り」でいられた。この「独り」が私がカラオケと同じくらい歌う際に必要なものだった。

ワンコ君と一緒に暮らしてる以上、独りになれる時間は少ない。そうなれば必然的に歌うことも少なくなっていく。

何ともまあ、どうしようもなく呆れてしまう心当たりだ。


後者の方は単純明快である。
単に自分の声に不快を感じ始めただけだ。
元々好きでもなかったが、それが悪化したに過ぎない。

よく現実逃避の一環で妄想の類いをするのだが(引かないでほしい)、その中にいる自分は当然人間だ。容姿も脳味噌の出来も現実とは違う。勿論声も違う。
ひきこもるようになってからは妄想の時間と回数が日に日に多くなっていった。当然、妄想と現実の自分を比べてしまうことも増えていった。

さっきまで普通の声をしていた(妄想の中)のにいざ口を開いてみたら(現実)この声だ。自己嫌悪が強くなるのも無理はない。
現実の醜い声を聞きたくなくて口を閉ざすようになるのも時間の問題である。


前者で「独りになれる時間は少ない」と書いたが、何も全くないわけではない。
待とうと思えば独りの時間は訪れるのだ。そしてその際に音楽をかけて歌うことも可能である。

しかし、実際は音楽を聴くだけ聴いてあとはせいぜい脳内で歌うだけ。音を発音することはなくなった。


他人からすればどうでも良いことだ。私もそう思うところがあるくらいだ。

だけど私からすると好きなものをまた嫌々捨てることとなってしまったというなかなかのしんどさがある。

歌うのは好きだ。でも歌う環境がない。環境が出来ても自分の声が嫌いで歌えない。
耳を塞いで必死に聞こえないようにするが、骨に響くその振動さえも気持ち悪い。

本当にどうでも良いと思う面もある。
しかし同時に歌う楽しみすら奪ったこの身体の価値がまた減った。点にするならマイナスに振り切ってることだろう。


これ以上私から好きなものを奪って何がしたいんだ? という自問はどうせすぐに自答が返ってくるのでなかったことにして、この辛さはどう誤魔化そうものか。

またカラオケにでも行けば馬鹿な私は再び歌えるようになると思うが、もう行けるかわからない上にそれまでの間は我慢するしかないのかと溜め息が出る。

やっぱり妄想の中で歌うしかないのか。そこでならいくらでも歌えるし何なら踊れる(草)。
それに自分の城で歌えばいつか王子様が現れてくれる。そして可憐なお姫様に一目惚れして結婚して幸せに暮らす……

なーんて馬鹿が見るような夢も叶えられるし、一石二鳥どころか三鳥四鳥にもなりそうだ。


せいぜい現実の私はパクパク鯉みたいにやってろよと言い聞かせるしか今の私に方法はない。

オチのない思考〜クソから抜け出せない〜

高校時代、所属していた演劇部は喜劇ばかりやっていた。二年目から私は台本を担当していた。
自作した話を皆が褒めてくれた。後輩が主役の新人大会で賞を貰った。お偉いさん方に台本も褒められた。他校の子達があのシーンで泣いたと話していたらしい。

今思えばそこが私の夢の限界だったのかも知れない。


こんな私が喜劇なんて書き切れたのは皆のお陰だった。楽しい空間があったから書けたに過ぎない。

やがて部員はいざこざを起こし制止するも虚しく分裂し崩壊していった。
筆を持ちノートと面するのが怖くなる。もう私は喜劇どころかろくに創作も出来やしない。そんな絶望と諦められない夢が喧嘩し続けた。


今じゃ科学技術のお陰で創作は出切るものの、喜劇なんて書く気にもなれないし結末まで書き切ることだって難しい。
傷もトラウマも癒えたはずなのに未だに自分の字が気色悪く見えて反吐が出る。

嗚呼あそこがピークだったんだろうな。される程の技量なんてもう無いはずなのに評価されたら突き落とされそうで怖いと怯えてる。それでも夢は儚くもがいてる。過去の栄光が夢に生気を与えてる。夢も栄光もクソ喰らえだ。

そんなクソに突き動かされて今の私は創作してる。ナイフを突き立てられ脅迫されて書いている。

確か昔は楽しかったはずなのに。どんな気持ちだったかよく思い出せない。思い出したところで何があるわけじゃないけれど。



最近よく夢に振り回されて人生まで棒に振った話を見掛ける。今日も見た。
ミュージシャンに漫画家、イラストレーターや役者。色んな夢。色んな絶望。色んな崩壊。
皆して後半にはこう含ませた。「叶わない夢はすぐに諦めた方が良い」と。

全くもってその通りだ! 激しく同感だ! 夢なんてあっても無駄だ!
そう心で叫ぶ。叫びたいだけなのかも知れない。

よく目にするのも自分が見たいと望んでいるから? 幸せになった人は夢は叶って当然と思って話さないだけ?
その辺はわからない。わかりたくない気もする。


どうしたら私はこんなクソから解放されるのかしら。
するとも永遠に解放されることなくよくある話のひとつと化してしまうのかしら。


今のところ何も考えないよう過ごしているお陰でクソから距離を置けるようになってきた。けれど同時に叶うに必要な知識も努力も経験も無くなってきた。

叶えられるものなら叶えたいけど実際本当にそうなのかはっきりしない。何か確証が出てくれれば良いのだけど。


どうしたら良いのだろう。どうしたら良いのかしら。どうしたら、どうしたら……。
そんな考えばっか巡って結局何も考えてない。考えない。


嗚呼、せめてあの時の様な仲間と空間があったらはっきりするのかしら。
笑いが耐えなくて、相談に乗ってくれて、アドバイスしてくれて、背中を押してくれて、どんなくだらない話の案も聞いてくれて、面白いと褒めてくれる。そんな仲間がいた第二会議室。

私に纒わり付く本当のクソは夢でも栄光でもなくその場所なのかも知れない。
もうそこには近寄りたくないけれど、そこにもう一度向き合わなければいけない気がする。

文化祭などの他者が入りやすい時に行ってみようかな。あ、でもお金が無いんだった。
そんな言い訳を並べて何も考えなかったことにします。さようなら。


再度夢を目指したところでもう遅い。何もかもが足りない。無駄で終わるのが目に見えている。
それなら今まで通り諦められないのか諦めさせてくれないのか曖昧なままでいきましょう。

気が向いたと言っては創作し、気が向かないと言っては放り出す。そんなもので良いんです。
私の人生、創作が許されているだけでも凄く恵まれてることなんだから。

クソの中が唯一の天国でしかないんだから。

ブスでもモテることはある

私は客観的に見るとブスであるがそれと同時にモテる側の方でもあった。

容姿のレベルは中の下から下の上辺り、平均より少し下くらい。今や加工で普通レベルの自撮りが出来るようになったものの、それでも載せられないのが殆どになるレベルである。

そんな容姿の私だが、何と告白されたことがあるのだ。しかも1回限りではない。
記憶を掘り起こしカウントしてみるとその数は驚きの……待って「(恋愛として)好き」と言われるのが告白なのか「付き合って」と言われるのが告白なのかはたまたその両方なのか……。

(とりあえずどっちも告白として扱ってカウントしてみた)

その数は驚きの9回。その中に3度も告白してきた人がいるのでそれも入れるとギリ二桁になる。

モテ期は3回来ると言われてるので3回告白されるのが普通というハードルを設置したとしても悠々と越えられるので私はモテてる部類に入るということになる。
(正直この顔で言ってもそんなの自慢にも何にもならないけど)


まあそんな話はクソどうでも良い話はもう良いとして、本題は「何故こんなブスがそんなにモテるのか」ということだ。
ここからは私がモテてた理由だろうと思う要素を書いていく。


1、若さの利用

まあ正直女子ならこれに勝る方法はない。特に女学生というブランドが付いてるのなら簡単に男は寄ってくる。(ろくな奴がいるとは言っていない)


2、友達の利用

要するに友達経由で知り合うということ。
直接紹介してもらうのもアリだし、友達に会う名目で普段行かないような場所に行ったりグルーブに混ざったりするのもお勧め。


3、男女関係なく友好関係を結ぶ

同性の友達は要らんって人ならそれで良いと思うけど、わざわざ壁を作るよりかは吉だと思う。それに誰とでも仲良く出来るという長所があると好かれる可能性が上がると思われる。2の様なご利益もあるし。
あと個人的に男女混合で遊んでも普通に楽しめる。


4、恋人になる前に友達になる

「他人→知り合い→友達→恋人」の順が普通と皆思っているだろうが、実際のところ「他人→知り合い→恋人」だったりするのが多い。
ただの友達を恋愛感情で見れないという気持ちは男女共にあると思われる。だがそれを逆手に取るのである。
他人や知り合いを気軽に遊びに誘って頻繁に会うのは難しい。何故なら相手もこちらと会いたい(遊びたい)と思える程の好感を持っていないからだ。
しかし友達同士なら気軽に遊びに誘って頻繁に会うのはお互い気持ち的にも容易になる。
一緒にいる時間を大量に確保出来たのならあとは落とすだけだ。友達として見られているのなら異性として見られるようになれば良いのだ。しかも数回だけで充分である。


5、TPOに応じて変化する

ただの友好関係を結ぶ際にもそうだが、TPOに応じてファッションや話題、喋り方まで変えるのは大切だ。相手を尊重することにもなる。
例えると「上司といるなら清楚な格好をし敬語で真面目な話題を話す」「クラスメイトといるならラフな格好をしタメ口で笑い飛ばす」など。
相手がどんなものを嫌うのかを把握して避けるようにするのは勿論、どんなものを好むのかを把握して取り入れるかをすることでかなりの好印象が狙えるようになる。
ただし極端に相手に染まろうとすると自分の個性がなくなってただの都合の良い存在になる上、長時間無理をして疲れてボロが出るということもあるので加減に気を付けよう。


6、自分という軸は捨てない

5の「加減に気を付ける」というのは「自分という軸を持つ」ということ。いくら相手が嫌いだからってそれが自分の好きなものなら邪険にはしなくて良いし、自分を捻じ曲げてまで変わることはない。
というか素になればなる程(雑な扱いをすればする程)好かれるようになったというクソな体験をしまくったので5は気持ち程度で良いかも知れない。


7、好意を伝える

友人としての好きでも異性としての好きでもどちらでも良い。(あまり好かれてないようなら友人としての意味合いで言った方が拒絶されにくい)
「そういう所好き〜」というストレートなものでも良いし「一緒にいると楽しい!」といったくどいもので可。相手のタイプに合わせよう。
ちなみに「意訳すると告白」みたいなことを言って意味に気付いた相手が告白してきたという黒歴史が2つ程ある。両片想いだろうけど告白する勇気が無いって場合にお勧め。


8、無理のないボディタッチ

無理のあるボディタッチはセクハラなので駄目です。嫌がられないと自信がある時に少しずつやりましょう。
恋愛経験ない子だと秒で効く。ガチで。


9、襲う

これも8と同じで無理矢理は駄目です。良い感じの雰囲気を作ってからにしましょう。
案外セフレを好きになるのは男女両方共にあるみたい。


10、出会い系サイトを使う

そりゃ出会える。だって出会い系サイトだもん。
これで一切モテなかったら絶望的な容姿か性格かその両方かを受け止めて改善するところから始めましょう。


11、兎に角人と知り合う

兎に角一番大切なことは沢山の異性の人に会うこと。例えどんな容姿や性格をしてようが好いて告白してくれる頭と目ん玉のおかしい人が現れてくれる。
(逆を言えば誰とも会おうとしないのにモテるのは一部の美男美女や大金持ちだけである)



以上がモテてた理由ではないかと思われる要素である。
元々昔から人タラシだったので全てをすんなりと行っていた。その為結果的にモテてたのではないかと思う。

こんな訳ありブスでもモテたやり方だ。上手く使いこなせば男女関係なく今よりもモテる可能性は上がるだろう。

「ブスのくせに」と思う前、そして「ブスだから」と諦める前に是非一度試して見て頂きたい。


そして是非その成功例を聞かせて下さい。



※注意

これ等の方法はあくまで「"誰かしらに"告白される」という意味のモテる方法であり、「好きな人に好かれる」という意味のモテる方法ではありません。
人は近しいレベルの人とカップルになることが多いと言われるだけあって、告白してくるのは自分と同等かそれ以下のレベルの人が殆どです。

もし「好きな人にしか好かれたくない」「高いレベルの人にだけ好かれたい」と言うのであれば素直に自分磨きをしましょう。

ソイツが檻の中に入っているとは限らない

インターネットでよく使われ、そして同時に呼称に問題性があると指摘される存在、「キチガイ」。
ある時にはインターネット上の顔も知らぬ人の前に現れ、またある時には現実世界の自身の目の前に現れては到底理解出来ないような言動で周囲に困惑と害を撒き散らす存在としてよく扱われている。

今回はその「キチガイ」を対象としてではなく、「キチガイを利用している奴等」の話をしようと思う。

※今回は自身の理解が及ばない相手全てに対してキチガイと括ろうとする者の話をするので便宜上キチガイという呼称のままでいきます。


迷惑をかけられている側とすれば溜まったもんじゃないが、それが自分と全く関係がないとわかれば他人事となり、中にはつい野次馬と化してしまうのが人の性である。現にキチガイと遭遇したという被害の話を面白半分にしか聞いてないという者が一定数いるのが事実だ。


きっと奴等はキチガイが檻の中に閉じ込められていると無意識に思っているのだろう。
檻の中とはすなわち画面の向こう側や別世界の類いであり、自分に関与するのが不可能な隔離空間のことだ。
キチガイは動物園のライオン、そして自分はそれ
を見て楽しむ観光客とでも形容するのが妥当だろうか。

ライオンを檻の外で見ている人と同じ檻の中で見ている人とでは例え距離が同じでもやっぱり感じ方は違うもの。

何せ檻の外では恐ろしい牙も爪も届かないのだ。今いる場所が完全な安全圏だと思っていることだろう。

反対に同じ檻にいる人(被害に遭った者、キチガイと近しい関係の者、キチガイと似た境遇の者)は例えどんなに距離を置いたところでいつ食い殺されるかわかったものじゃない。
下手すればウイルス感染の様に全く同じキチガイと化すことだって有り得るのだ。

中にいる人は被害に遭わないよう、そして自分まで加害者側にならないようにと警戒を怠らず藻掻き続ける。
しかし外にいる人は他人事と思ってるから面白がってばかりで本人の気付かぬうちに同等のキチガイになってることもある。

何故ならば、檻という概念など始めから存在しないからだ。

例え画面の向こう側や住んでる国とは違う国の話だったとしても、同じ人間という種族である以上、自分がキチガイとは全く関係がなく被害に遭うこともないという確証はない。
今いるところが安全圏でない根拠はないが同時に安全圏である根拠もないのだ。

そうである以上、キチガイを「キチガイ」と呼称し理解もせずにただ拒絶するのはお門違いな対応と言える。
理想の対応はどんなに理解不能な存在だったとしても二度とそんな存在を生み出さないよう原因を追求し解明ことである。
しかし、その道の専門家でもない我々に理想の対応は出来ない。それならば我々なりに理解と近い対応をするしかない。

被害が及ばないよう安全な場所まで離れるのは懸命だ。しかしだからと言って今いる場所が安全圏だと油断するのは危ない。
他人事になり内心面白がるのは勝手だが、常に自分や周りがそうなるかも知れないという可能性を危惧し気を付ける。
そして、いくら理解が出来ない存在だからといって一概に差別化し拒絶するのはかなり危ない行動だということを忘れない。
そういった姿勢を保つことが大切なのだろう。


昔からニュースやSNS上では毎日と言っても差し支えない程の頻度でキチガイが現れ、その存在を嘲笑い排除を望む声をあげる者が現れる。

被害に対する復讐、正義感に燃えてなどの理由を添えられてしまえば許容したくなる気もしなくはない。
しかし、それでも少し冷静になってほしい。

そして法律や法的機関があるということを思い出してほしい。
何の為にそれ等が存在しているかということも、だ。

確かに今の法律や法的機関では力不足だったりするところがあるかも知れない。かくいう私も警察に関しては全く信用していない。
かと言って私達には私刑を行なって良い権利も無ければ手段もないのだ。
(逆を言えば私達に権利も手段もないから法律や法的機関があるのである)

ならば私達はキチガイに罰を与えることなんてしなくて良い。考えなくて良いのだ。
真に私達がやるべき事。それは上記のように私達なりにも考え理解し、同じ罪を生み出さないようにすることだ。

例え環境などの個人じゃどうしようもないことが原因であったとしても、1人でも多くの人間が変えようと意識すれば変えることが出来る。
孤独が原因であるのなら皆で寄り添い支え合えば問題は解決される。

そうすれば、いつかきっとキチガイという存在もそんな呼称も無くなることだろう。







……なんて綺麗事を考えていた。

普通に考えて、まず無理なことだ。

こんな私でさえも思いつくようなことにも思いつかない人間ばかりか、思いついていながらわざとそうしない人間が多くいるのだから。


勿論、綺麗事を述べるだけではなく実行に移すような凄い人もいる。
しかしそれはほんの一握りだ。

何せ、通常なら理解不能な存在に嫌悪し、嫌悪を催す対象とは近付きたくもないか消えてほしいと願うかのどちらかである。

わざわざ嫌いなものに近付く人間の方が少ないだろう。


だから一握りの人達がいくら頑張ってもこの地球では未だに似た悲劇が繰り返されるのである。

何故私から逃げないのか

前回は「何故私から逃げるのか」という考えに対し、今回は真逆の「何故私から逃げないのか」ということについて考えていこうと思う。


私から逃げない。その相手というのは私のTwitterではお馴染みのワンコ君である。
知らない方に対して簡単に説明すると、「前にいた職場の同期で同い年の男の子」「友達同士ではあるがやることやってるので周りにはもう恋人同士ということにしている」「現在彼のお家にお世話になっている」「私は彼に恋愛感情を持っていない」「関係はかれこれ三年目くらい(私の中で最年長)」です。本当可哀想(他人事)


前回の記事で「私と関わらない方が良い」と書いたが、勿論このワンコ君にも告白された際にはっきりと言っている。そして何故そうなのかという理由も代々の元彼共と別れた経緯と共に説明済みである。
普通の人ならば間に受けるにしろ受けないにしろ、そこで「うわこいつヤバい奴だ」となって私の提案通り告白しなかったことにすると思われる。しかし彼はそうしなかった上に今こうして養うということまでしている。

いや、もう、本当どうして? って感じ(語彙力)

私自身、性格はある程度矯正済みだがまだ治っていないキモい部分が少なからずあるし、見た目も痩せたといえまだまだ醜いまま。そして今は1円も稼いでいない。その上私のアカウントを知っているので前回の記事に書かれているヤバさを全て把握しているのだ。


何故ワンコ君は私から逃げないのか。その理由を次の様にいくつか考えてみた。


1、好きだから

嫌いな奴にそこまでしないのと彼の日々の様子から嫌われて"は"いないというのは推測出来るが、好きという気持ちだけで低収入の彼がここまで出来るとは考えづらい。
「俺が姫を救うんだ」というシンデレラストーリーならぬ勇者ストーリーに憧れ心酔している可能性もある。


2、プライド

男の人は自分からした告白を「なかったことにされる」というのはプライドが傷付くらしい。そして自分から振るのも悪者になりたくないというプライドが邪魔するらしい。と、いうのをサイトで読んだことがある。
前者のプライドにより恋人に近い関係となってしまった上、自分から振ったらネットや身内で悪者扱いされるかも知れないと思って別れられない。振られるのを我慢して待ってるのが現状という可能性。


3、自分に自信がない

彼は様々な面で時折自分を卑下する時がある。恋愛面でもそうだ。
詳しくは言えないのでざっくり言うと、そもそも恋愛経験が乏しく唯一出来た彼女に振られたらしい。
そんな彼に対し(というかほぼ誰に対しても何だが)優しく接し大抵のことは受け入れ尽くしてくれる私を「自分と釣り合う優良物件だ」と思っているかも知れない。つまり自己肯定感が低過ぎて私レベルが限界なんだと思ってしまっているのだ。
「別れたらもう一生彼女なんて出来ない。出来てももっと酷い奴だ」と怯える彼が私で妥協しようとしている可能性。


4、楽観的過ぎる

彼が恋した私の姿というのは「仕事を真面目にこなしていて皆と楽しそうに盛り上がりながらも自分に構ってくれる姿」らしい。
今の私とは正反対であるが、それは一過性のものでありいつか勝手に元に姿に戻っているだろうからそれまで我慢して待ってやろうという可能性。
つまり養ってくれてるのは過去の私に戻れというカンパである。


5、死なれると困る

正直彼に泣きつかれて所持金を失うまでは山奥で死のうと思っていた私。(その為に仕事辞めたし)
連絡先を交換し家の行き来を頻繁に行っている上に職場の人達からも仲が良いと知られている以上、私に死なれたら何か不利益が来るんじゃと怯えている可能性。
彼は普通に良い子なので確実にそれなりの罪悪感などはありそうだし(申し訳ない)、周りに何か言われるかも知れない、下手したら警察に何か言われるかもと思っていそう。


6、利用価値がある

現在の私に対しても何らかの利用価値を感じて傍に置いてる可能性。
個人的にはサンドバッグと性処理、そして家事代行とリア充自慢辺りではないかと推測される。現に彼の友人には彼女のいる人が少ないらしく、もしかしたら何かと自信のない彼にとって「リア充である自分」を貫くことで優越感を得ているのかも知れない。


以上の可能性である。
原因はこのどれか1つというよりも複数の理由が重なって出来ていたものだろう。


今現在、この関係を続けていても特に大きな問題が起きたとかはない。見たところワンコ君に大きなストレスはないようなので正直私ひとりが平気な顔していれば何ら問題はないようだ。

しかし、いつ彼が私に対して耐え切れないようなストレスに見舞われるかわからない。下手したら明日、いや次の瞬間に訪れるのかも知れない。
その為に予め彼を観察して逃げない理由を推測し、いざ彼が逃げようとした際にはお互いのストレスが最小限になるよう万が一の逃げ道を用意しなくてはいけないのだ。


今現在で彼が私から逃げれるようになる方法は2つ。「彼女を作らせる」か「私が自立する」かだ。

前者の方は彼に全くその気がないので少女漫画のような運命の出会いをしてくれることを神頼みするしかない。

後者についてだが、私自身、まともに働いて生きるということに対する理由もなければ気力も意志もない。今見ているのが悪夢で、寝ている時の夢が現実なんだと最近妄想してばかりいるくらいだ。
けれどそのままじゃ私が死ぬのは良いにしても彼に迷惑がかかってしまう。というか既に今彼に迷惑をかけている。
だからこうして渋々ながらもバイトをするところから再開しようとしているのだ。自分では無意味で無駄なことだとわかりきっていても。


更に詳しい要因がわかれば別の方法も見つかる可能性はある。なのでこれからもこの考察はやめないつもりだ。
(まあやめても無意識に考えちゃうのだけど)

これが「責任をとる」というやつなのだろう。


ここまで読んだ皆様はもう察しているだろうが、彼は私から「逃げない」のではなく「逃げられない」のだから。

何故私から逃げるのか

数年前から私に交際やそれに近い関係を求めてきた相手にはこう言うようになった。

「私と関わらない方が良い」

一見すると厨二を拗らせたイタい奴の台詞なのだが(自分で打っててもそう思う)、私としては結構深刻な問題である。


私は自身のことを普通とヤバい人の中間辺りにいるくらいおかしい存在だと思っている。
(自称サイコパスとかそういうのじゃないよ)

家庭環境の時点で、貧乏、毒親政権、子供や動物の虐待、他者への迷惑行為、万引きなどの犯罪を平然と犯し自慢する、全員高校中退か中卒でまともな職に就いてる奴は皆無など色々ヤバい。(まあ貧乏やら学歴やらしょうがないにしろ)
その中で唯一一番まとも(当社比)だった私は様々な妨害を受けながらも逃亡を図るが現在も逃亡し切れていない状態……。


ここで勘の鋭い方はお気付きでしょうが、そう、かなり悪い影響を受けてしまっているのだ。


現に学歴はFランの大学中退、仕事も辞め現在ヒキニートである。
この時点でもう逃げるべきなのだが、肩書きと経済面以外にも逃げるべき要素がある。

まずわかりやすく容姿。体型はデブ専にも普通の人にも受けない中途半端なデブ。顔に至っては骨格が既に終わっている。
強いて言うなら極端なブスじゃないのが救いだが、普通の数歩手前といった感じでお世辞を言われるが舐められるか影でキモがられるかの陰湿な扱いをされるのが殆どだ。
(それなら嫌がってるのがすぐわかってギャグとして利用出来る方が良かったんじゃと一瞬考えてしまう、一瞬)

そして性格。今は適応に適応しまっくって好きな人に対して以外なら好印象か空気扱いを貰える程度にはなったものの、昔は酷かった。
恋人相手や好きな人には極度の心配症を発症してしつこい連絡をしたり嫉妬したりネトストしたり何処にいてもお構いなく甘えようとしたり頻繁に相談や弱音を吐いて困らせたりと、かなり酷い。


その結果、彼氏に多大な迷惑と不快感を与えてしまい、避けられ音信不通になるということが連続であった。そりゃ当然だわとは思った。
(だからと言って理由も言わずに逃げたことと先に別の女を用意したことその他諸々は今も問い質したい所存ではある)


しかもここまで書いたことはあくまでリアルの人にしか知られていない面だ。
(まあ全部知り得てる人はいないと思うけど)

ここから先はTwitter上でのヤバさである。


それを簡単に言うと、「妄想癖」「自殺願望」「セフレ事情」「衝動的暴走」などである。
適当に一言で説明するならば「私メンヘラなの〜」だ。(自傷行為はしてないし病気も障害も持っていないからメンヘラの子ごめんねって感じだけど)

まあもうこの時点でヤバい。きっとフォロワーさんは珍獣を見るか優越感を得る為にフォローしてくださっているのだろうと思う。

きっとこれ等が私から滲み出ていて(またはアカウントを見てしまって)逃げ出したということも有り得る。
こちらが素の私なんだからしょうがない(甘え)


ここまで書いたらもう「何故逃げるのか」という考察は充分であろう。他に理由を挙げるとしてもあとはもう相手の都合としか言い様がない。

考察というかもうわかりきったことをただ並べているだけなのだが、それでもこの答えが出てくるまで私は散々な目に合った(合わせた)し苦しんだ(苦しませた)のだ。


だから私はこれ以上の(私含めた)被害者を出さない為に「私と関わらない方が良い」と警告している。

相手を傷付けない為に、私が傷付けられない為に。

将来逃げられることを防ぐ為に、予め逃げ道を作ってあげるのだ。