悟ったような面するブログ

無い脳味噌と知識で垂れ流している。

繰り返しオウム返し

学生時代、友人から「春ちゃんって話聞いてない(理解してない)時よくオウム返ししてるよね」と言われたことがある。
私自身そのことに全く気付いておらず当時は訳がわからなかったのだが、日が経ち考えを重ねた結果少しずつ腑に落ちてきた。

端的に言うと私はよく相手の発言が聞こえなくなる時がある。それは決して聴覚的な意味ではなく、言語を理解できないという意味だ。そしてそれが普通なら起きうることのないことだと私は認知している。
だから私はそれが起きた際、今も昔も知ったかぶりの真似事をしている。如何にも、「私はちゃんと話が聴こえていますよ。ちゃんと会話できていますよ」といった具合に。

知ったかぶりによって過剰に聞き返すことなくやり過ごすことが出来たわけであるが、やはり問題は避けられない。相手の発言が聞こえていない(わからない)以上、返す言葉に困るのだ。

その上で私は平然とした態度を貫こうとする。

結果、辛うじて聞こえる文章の断片を掻き集めて利用する……言わばオウム返しという手段に出ていたのだ。
返しが不自然にならないよう、万が一ミスをしても最小限に抑えられる唯一の逃げ道がオウム返しであった。

今まであんな事を言われたことはなかったのだが、あの友達は観察力が鋭く察しが良い。きっと何度も行われる無様な抵抗に気が付いたのだろう。
しかし言われたところで根本的な問題が解決されない限り直しようがない。あれが指摘でもなければ悪口でもない、単なる世間話の一部でしかないことも理解している。だから気に留める必要もないと、理解"は"しているのだ。
だけど一度気付かれたことに気付いてしまった以上、「他に気付く人が現れるかも知れない」「既に皆が気付いてるが黙っているだけかも知れない」という小さな影が私の心に差し込み、今も晴れることはなかった。

普通を装った異端な言動、頻発するオウム返し。私はこの方法以外の誤魔化し方を編み出せていない。原因の直し方も知りようがない。

きっとこれからも私は小さな影を抱えながら繰り返しオウム返しをしていくのだろう。